三州瓦 地場産業 

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三州瓦は愛知県の瓦生産産地(愛知県陶器瓦工業組合)のブランド名です。主に高浜・半田・碧南・刈谷安城で生産されています。

 

 

三州瓦の昔は小さい窯がたくさんあり、煙突からもくもくと黒い煙が出ていたとよく聞きました。

 

三州瓦2

 

 

この写真をよく見るとたくさんの煙突が立ち並んでいることがわかります。

200本以上の煙突があったと聞いたことがあります。

三州瓦1

 

煙突写真は弊社と同じSKJグループの碧南窯業さんの事務所に飾ってある写真です。

三州瓦3

 

その隣には、半田と高浜を繋げている衣浦大橋の古い写真がありました。夢の懸け橋という言葉もあります。

そこで、三州瓦の歴史を調べました。

 

三州瓦の発祥は、寛政元年(1460年)という説もありますが、産地(地場産業)としての機能が形成されたのは、1700年頃ではないかと言われています。

 

三州瓦4

 

高浜市春日神社に奉納されていた狛犬に「享保八年、三州高浜村瓦屋甚六・・・」の文字が彫られており、1723年には瓦の専門業者が高浜にいたことになります。

 

三州瓦地場産業として発展した主な理由は次の通りです。

 

?瓦に適した良質な粘土が浅い地層で大量に掘れたため

 

?矢作川があり、良港にも恵まれていたので、船便による搬送ができたため

 

?農業には向いた土地ではなかったので、良質な労働力を充分に得られたため

 

と言われています。

 

特に、船のバランスをとるために、重量物である瓦を船底に置いて東京まで運んだと聞いたことがあります。

 

その他技術的進歩もあります。

1928年には塩焼瓦が完成し、寒冷地でも粘土瓦が使用できるようになりました。塩焼瓦は赤色の色むらがある瓦です。

 

1951年には三州地区で初めてトンネル窯が誕生しました。

 

1955年には真空土練機が導入されました。釉薬瓦もこの頃増加しました。

 

1965年には自動乾燥装置ができました。また産地として分業化となる粘土配合所ができました。

 

このような産地内での技術進歩により、全国トップの生産量となる三州瓦は発展していったそうです。     (#⌒∇⌒#)ゞ

 

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