平安時代(794〜1185年)の瓦が今日あまり見られないのには、技術的な面のほかにももう一つ大きな理由があります。それは、この時代の寺院の屋根は檜皮葺(ひわだぶき/ヒノキの皮を用いたもの)が多かったので、必然的に瓦の生産量が減っていたと考えられるからです。
この時代、最澄や空海によって伝えられた密教(天台宗、真言宗)が盛んになりますが、これらの宗派では、寺院を山中に造りました。山中では瓦の製造や運搬が難しいため、手近に使える檜皮が屋根を葺く素材として選ばれたのです(檜皮葺の屋根自体はそれ以前からありました)。その影響で、平地の寺院にも檜皮が好んで使われるようになった、つまり檜皮葺がこの時代の流行だったようなのです。
鎌倉時代(1185〜1333年)の武士は質素だったので、幕府の政庁にも瓦は用いられなかったといいます。しかし、新しい寺院の建立や戦乱で炎上した寺院の再建などで、瓦の需要は復活したようです。
2本の角をもつ鬼瓦が多く見られるようになるのも鎌倉時代で、それまでは型抜きで作った平面的だったものが、「手づくね」という手で成形する立体的なものになっています。また、奈良時代(1338〜1573年)の平瓦(ひらがわら)には釘穴がありませんでしたが、伊良湖崎出土の鎌倉時代の平瓦には釘穴が開けられています。改良が進んでいた証拠です。瓦が大きく改良される室町時代へ向けて、鎌倉時代は瓦技術の過渡期といえるでしょう。
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