大正の末年、常滑では塩焼きの土管が製造されるようになりました。三州では、この技術を応用して赤い瓦を焼こうという試みが早速なされました。ところが土管と瓦では焼成温度も形も違うので、失敗の連続。やっと商品となったのは昭和3年(1928)のことでした。
塩焼きというのは、焼成の途中で塩を投入して瓦を焼くもので、投入された食塩は熱で分解されガス状となりさらに水蒸気と反応し、酸化ナトリウムと塩化水素に分解されます。さらに酸化ナトリウムが粘土中の珪酸とアルミナと化合し、珪酸ナトリウムとなり、これが赤褐色のガラス状の皮膜となるのです。塩の投入は数回繰り返されます。これによって瓦は堅く焼きしまり、表面の光沢も増してきます。
塩焼き瓦は丈夫なことに加えて、含水率が非常に低いので、凍害に強く、寒冷地へ向けての販路も広がりました。
塩焼き瓦には、もう一つ大きなメリットがありました。それは、一度に燻しの何倍もの瓦が焼けることです。これなら急ぎで大量の注文があっても大丈夫。製品の良さから人気も急上昇し、三州では昭和28年(1953)に生産量も燻し瓦をしのぐようになりました。
なお塩焼きは三州の粘土でないと独特の美しい小豆色が出ず、その焼成法の難しさもあって、塩焼き瓦といえば三州の独擅場でした。塩焼き瓦(赤瓦)は、三州瓦の全国的な名声を不動のものにしたといってよいでしょう。
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