今日で「平成」が終わり明日から「令和」の年が始まります、平成を振り返ってみると・・・

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平成を振り返ってみると・・・

今日で平成天皇がご退位をされて
「平成」という年号が31年で幕を閉じようと
しています。

細かい事はたくさんありますが、
特に大きな流れとして変化があった事をご紹介して
振り返りたいと思います。

昭和の時代にも大きな地震は多数発生し
甚大な被害をもたらしましたが、
「平成」も特に大きな災いが多発し
粘土瓦業界にとってはまさに激動の31年間であったと
感じます。

平成7年1月17日に
淡路島付近を震源とした「阪神淡路大震災」では
震度6を記録し、残念ながら多くの方々がお亡くなりに
なられました。

阪神淡路大震災を皮切りに
全国各地で災いが発生しました。

北海道南西地震・阪神淡路大震災・鳥取西部地震・
十勝沖地震・新潟中越地震・東日本大震災・熊本地震・
北海道胆振東部地震等々それ以外にも多数の地震が
発生して費と建物等多くの被害をもたらしました。

被災された方々、お亡くなりになられた方々の
ご冥福・お見舞いを申し上げます。

阪神淡路大震災では粘土瓦は地震に弱い
瓦の重さが住宅を倒壊させた・・・。と
平成7年当時では、台風で建物を飛ばされないようにする
為に屋根に過重をする住宅が主流であり、
その後、ホールダウン金物で基礎に建物を
緊結するようになりました。

実際に旧工法(大回し工法)の住宅では被害が
多数発生したを受けて「ガイドライン工法」が確立して
今では耐震性・台風性を担保していますが、
風評被害で苦しめられている事はなかなか払拭できていません。

我々、三州瓦・粘土瓦業界は
同じ過ちを犯してはならないと考えており、
「ガイドライン工法」の普及推奨をしています。
また、既存住宅の旧工法(お回し工法)を
ガイドライン工法に施工し直して「減災」にしていただくことを
推奨していますが、南海トラフ巨大地震の発生確率が
80%と言われている現在で残念ながらも多くの皆さんは真剣に耳を
傾けてはくれていません。

我々は「令和」の時代がスタートしても
改めて「減災」「粘土瓦住宅」に被害を出させないように
継続して運動を行きます。

平板瓦の普及・・・

平成に入り、人手不足がどの業界でも
叫ばれました。我々、粘土瓦業界でも
同じように瓦を施工する職人さんの不足が
叫ばれました。

日本では「J形(和瓦)」が普及していましたが、
J形瓦を一人前に施工できるように
なるにはかなりの年月が必要とされていました。

そこで、ある程度の技量で屋根が施工できる
新しい瓦が開発されました。
それが「F形(平板瓦)」でした。

これは収まりが簡単で棟を積む事も
ないので、誰でも施工できる瓦でした。

しかしながら、簡単に施工できることに
よって若い職人さんが簡単に独立したり
価格競争に入ってしまって粘土瓦業界のバランスが
崩れてJ形瓦が激減し製造メーカーの統廃合なども
加速させて大変厳しい状態に至っています。

地場の工務店からハウスメーカーの台頭

住宅は地元の大工・工務店さんが建てた時代から
大手ハウスメーカー・デベロッパーへと変化してきました。

斬新なテレビCMや若い営業マンの売る住宅へと
施主さんが変わってしまいました。

もちろん、大工・工務店さんの家を建てる
技術が劣る訳ではありません。
営業ベタで職人気質の方が多い建築業界ですから
その辺りが施主さんのニーズにマッチしなかったと
言わざるを得ません。

しかし、今の大工・工務店さんも大変勉強されて
ハウスメーカーに負けない営業や技術提案を
持っています。

それと同じよに我々「三州瓦・粘土瓦」の
業界人は新しい「令和」の時代に改めて
前に進んでいきます。

どうぞよろしくお願いします。(^o^)/

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