瓦と日本の景観について勉強しました!和瓦(日本式)を残していきましょう!

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瓦と日本の景観について学びました!和瓦(日本式)を残していきましょう!

こんにちは~。

屋根・雨漏りの調査員、神谷昭範です。

高浜市やきものの里かわら美術館では現在、至る所に、ちびまる子ちゃんが出現しています。

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その中で、「タカハマ!まるごと宝箱」の第30回目の講座が開かれました。

『鬼瓦と鬼師、そして日本の景観』

『鬼瓦と鬼師、そして日本の景観』と言う題名で、愛知大学の高原教授(高浜市文化財保護委員)がお話いただきました。

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瓦業界に属している私ですが、大変不勉強であることを痛感しました。

はじめて瓦の歴史について、また、日本の景観について、学んだような気がしました。

瓦の歴史

全部は理解していないですが、印象的なことがいくつもありました。

①瓦の誕生

東洋(アジア)では、中国で西周時代(前1050年頃~前771年)に誕生した。

西洋(ヨーロッパ)では、ギリシャで紀元前14世紀に誕生した。(ともに約3000年前と言える。)

②中国⇒百済(韓国・4世紀前半~663年)を経て、日本(飛鳥時代 588年)に百済より瓦博士4人が飛鳥寺へ瓦を伝えた。

日本へは東洋(アジア)の瓦が入って、瓦文化がはじまった。

平城京、国府(県庁)、国分寺国分尼寺の屋根で瓦が使われるようになった。

(寺と役所などに瓦が拡がっていった。)

③安土・桃山時代(1568~1600年頃)に安土城に瓦葺きが使われ、城郭建築に瓦が拡がった。

④江戸時代(1603~1867年)に武家屋敷、寺院、町人屋敷など城下町を中心に瓦が拡がった。

中国~韓国から伝わり、日本で拡がった瓦は、この時代まで本葺き瓦(東洋式)です。(上丸と本平瓦の組み合わせ)

⑤1674年瓦工、西村半兵衛が現在の桟瓦を発明した。

和瓦(日本式)が誕生し、民家への瓦の普及が始まる。(軽量・経済・防火)

明治時代(1868~1912)に、板葺き、草葺きだった民家に瓦葺き(和瓦・波形)が普及していく。

これにより、日本の景観は甍(いらか)の波となる。

(鯉のぼりの歌詞に、「甍の波と・・・」と出てくるぐらい一般的)

⑥1980年代以降、日本の景観が崩れる。(高度成長時代とともに)

フラットルーフ(陸屋根)や平板瓦(西洋式)が普及する。

平板瓦は西洋の瓦と言える。

東洋の瓦と比べて約1500年遅れて、西洋の瓦が日本で普及。

戦後のアメリカの影響、文化の植民地化、日本喪失の危機。

日頃、仕事をしている上では屋根材の1つとして瓦をとらえていました。

先生のお話を聞いて、歴史学的な視点からの日本の景観・文化の喪失が現在進行していると考えるととてもショックでした。

東洋式(本葺き瓦)は社寺仏閣の屋根として、日本の景観に今後も残っていきます。

西洋式(平板瓦)は洋風住宅の屋根に今後も残っていきます。

日本式(和瓦)は和風建築の屋根に今後も残っていくようにしなければならないと思いました。

江戸時代から続いた和瓦(日本式)・甍の波・街並み・日本の景観を守るため、私ができることを考えて実行して行きます。

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